将来を嘱望された選手であったが、短気な性格が災いしてプロの世界になじむことができず、メジャーになかなか定着することができなかった。1984年から1989年にかけてメッツ、ミネソタ・ツインズデトロイト・タイガースを控え外野手として渡り歩き、最後にはアスレチックスに移籍し、1989年に現役を引退した(ベンチ要員ではあったが1987年にツインズで、1989年にアスレチックスでワールドシリーズ優勝を経験している)。現役時代の通算成績は、148試合に出場して、打率.219、本塁打3本。

スカウトから太鼓判を押され期待された自分が何故活躍できなかったのかという悔しさが、もっと正しく選手の能力を判断するすべがあるのではないかという想いを強くした。また、監督トニー・ラルーサ一塁手マーク・マグワイア、外野手ホセ・カンセコなど錚々たるメンバーが揃い、黄金時代を迎えていた引退当時のアスレチックスのゼネラルマネージャーサンディ・アルダーソンが後のビーンに大きな影響を与えた。

1990年から球団スタッフに転身しスカウトとして活動、1993年にはアルダーソンのアシスタントを務め着実に地位を築いていった。1995年に前オーナーの死去によりアスレチックスの財政状況は大きく変わり、スター軍団は解体を余儀なくされる。このころ、アルダーソンはセイバー・メトリクスの祖、ビル・ジェームズの著書『野球抄』シリーズを参考に出塁率・長打率を重視する旨を記した冊子を作り、マイナー選手に持論を説いていった。この冊子に書かれた理論がビリーの球団運営哲学の礎となった。1997年10月にはアルダーソンの後任としてゼネラルマネージャーに就任。セイバーメトリクスを駆使し、無駄な要素を極力省き低予算でチームを強くすることを実現した。

2003年には、前述の「マネーボール」が出版され、ビーンのチームマネジメントが日米で話題となり、日本でもセイバーメトリクスが一般的に知られるきっかけとなった。